なぜビリヤードがこんなにも好きなのか真剣に考えてみた
ビリヤードが好きだ。
狙う種目やメンタルスポーツが好きなんじゃなくて、ビリヤードが大好きだ。
この狂おしい感情は完全に愛であり熱情なのですが、「何故そこまでの感情を?」といった部分について、言語化できていないことに気付きました。
ビリヤードの魅力を再認識するためにも、この感情の言語化に取り組んでみます。
本記事のきっかけ
先日、ビリヤードと関係のないブロガーの方々と焼肉に行ったのですが、その際に
「ビリヤードにそんなにはまったのはなぜ?」
と聞かれました。
これに対して、強烈な感情を表現する術が見つからず、ごにょごにょと答えることしかできなかった私です。
私がコミュ障なだけなような気もしますが、強すぎる感情ってなんとも表現しづらい。
どこぞの漫画のように全部濁音にして「お゛れ゛は゛す゛き゛な゛の゛(ドン!!)」とかやればよかったのかもしれないですが、ちょっと聞いただけで急に涙鼻水全開になる初対面の31歳とかそこで相手との人生の接点が消えちゃう。
ビリヤードへの果てなき愛情
ビリヤードに対する感情について、当ブログの記事数であったり10年以上継続しているといった事情等、枚挙に暇がないくらいに「愛」であることが明らかです。
私自身が上手くなりたいといった思いももちろんあるし、業界がどうにか上手く回ってほしいという切なる思いもあります。
私自身の感情を見つめてみると、自分の中の愛情が家族とビリヤードとに全注入されている感が強いです。
仕事?仕事に愛なんていう優しい感情はないです。
常在戦場の意識で働いているので、仕事に傾けている感情は攻撃的なものだけです。
なぜビリヤードにどはまりしたか
ビリヤードを本格的に始めたのは、大学2年生の3月です。
何をしていたわけではないのですが、ある日突然、
「俺、変わらなきゃ!」
という衝動に駆られ、その際に
「今のままゲームしたりネットしたりして日々を消費していてはダメだ!そうだ、趣味を持とう!」
と、論理性も何もなくとにかく趣味を作ることに躍起になってしまいました。
学生の本分は勉学であるはずなのにそこに思考が一切至らなかった不思議ですが、4年生の後期になっても授業をがっつり受けて大学をがっつり堪能した人間なので推して知るべし。
趣味としてビリヤードを選ぶまで
趣味を持つ、といっても何を趣味にしたものか。
ゲームやネットを除外したのは、もっと体を使ったものを趣味にしたかったからです。
(ゲームは突き詰めていくとかなり体力が必要なようですが、当時はプロゲーマーもいなかったためそこまで思い至らず)
サッカーや野球、といったメジャーなチームスポーツについては、大学2年の終わりに始めてもどうにもならないしそんな体力もないし、そもそもコミュ障なのでチームプレイが苦手。
One for All, All for One?
いやいや、この根暗文系(工学部ですが)にはOneだけよ。One for One.
そんなこんなでうんうん唸りながら考えていたのですが、高校時代から遊びでやったことがあるし、筋肉とかいらなそうだし、当時Jsportsで放送してたビリヤードの試合を楽しく見れていたし、といった事情からビリヤードを趣味にすることに決めました。
今現在筋肉不足で嘆いていることを考えると、知らないって凄いなってしみじみ思います。
ビリヤード場に行ってみた
ネットで調べても当時は大した情報がなく、いざ趣味にすると言っても何をしたらいいのかがさっぱりわからない。
そんな中で、試しに1人でビリヤード場にいってみました。
その日はとにかく球を撞いては外し、撞いては外しとしていたのですが、それを見ていたそのお店の常連さんが、
「もしよければ練習方法教えましょうか?」
と声をかけてくださり、センターショットを教わりました。
センターショットを目の当たりにした衝撃
「これやるといいですよ」
と、常連さんがセンターショットの配置を作り、スパンッと手球を撞いた。
キューに突き出された手球が勢いよく的球に衝突し、ゴトンッという個気味良い音とともに的球がポケットに飲み込まれたが、手球は的球に衝突した場所にピタリと止まっていた。
勢いよく飛んで行った手球が微動だにしていないことに驚き、わけもなく感動してしまいました。
物理的には同じ質量の物体の衝突運動なので当然の結果なのですが、理科の実験のような結果を自らの手で実現できる、という事実に震え、その日から遮二無二センターショットの練習をしました。
そこからさらにトップスピンやバックスピンを効かせた球を見せてもらい、みんなのゴルフやパンヤで見たやつだ!とまた感動し、さらには手球を操り連続して的球を入れていくことにまた感動し、一生懸命練習してできるようになろう!と決意したわけです。
まさか、色々な技術のどれもが青天井のむずかしさだなんて、このときは思いもしなかったのですが、無限に続く楽しさにのめり込んでいるうちに趣味として定着していきました。
これらのエピソードが心に刺さった理由
こういった事象について、フラットな目で見ると
「まぁ凄そうだけど地味だよね」
といったところで止まる程度の話です。
にもかかわらず、これらのエピソードから始まり今日に至るまでの情熱となったのには、私のパーソナルな部分が関係しているはずです。
なんでこういったことを極めて楽しいと感じ、実現したいと欲し、携わる人々に貢献したいと飛躍していくのか。
ここのところ、ぼんやりとその理由について考えていたのですが、フォローしている方のツイートにその理由が記されていました。
ビリヤードは唯一身体を動かすパズルなわけ。
— カルタス (@ji120moonpet) 2016年12月21日
的球は床に散ったピースってとこかな。つまりポジションプレーってのは断片を繋ぐ作業って事さ。
断片だけじゃ物事の本質や背景なんてのは見えてこない。
でもいるんだよ。逆算して完成された絵をイメージできる奴がさ。
そいつには一生敵わない。
そう、ビリヤードって身体を使うパズルなんですよ。
これに気付きませんでした。
好きなゲームを思い返す
ゲームの類はよくやるのですが、特にはまったのがXiシリーズ、メタルスラッグシリーズの2つです。
Xiとは
悪魔をモチーフにした可愛いキャラクタであるアクイちゃんを動かしてサイコロを転がし、サイコロの目と同じ数のサイコロを繋げることでサイコロを消していくゲームです。
詳細はwikipediaに詳しく。
サイコロが消えるまでに一定の時間がかかり、消えきるまでに同じ目をつなげることに連鎖(チェイン)になってスコアが上がる、といったゲーム性のため、パズル要素とアクション要素がかなり高いレベルでマッチしていました。
Xiの2作目となるXi Jumboで、サイコロの上をまたげるようになって一気に自由度が上がり、もう狂ったようにやりまくりました(決して上手ではない)。
メタルスラッグとは
美麗な2Dドットのアクションゲームで、拳銃を基本に多彩な重火器を用いて敵軍兵士を倒していきます。
敵も味方も、人間であれば基本的に一発で死ぬので、ギリギリで避けながら果敢に攻撃していくところが楽しいゲームです。
パッと見、単なるアクションですが、敵の配置を覚え、使えるリソースを分配し、可能な動き方でいかにしてノーダメージで切り抜けるか、と色々考える必要があり、アクションでありながらパズルの色彩が強めです。
3まではバランスが絶妙だったのでほぼ毎日やっていました。
(4以降はメーカーが変わっちゃったこともあって理不尽な難易度になっていて、攻略性に美しさがあったのに!とショックを受けてやらなくなりました)
好きなゲームとビリヤードの共通点
ビリヤードと2つのゲーム、いずれも、アクション性があり、パズル的な組み立ても必要であり、自分の操作によって組み立てたパズルが実現することでカタルシスが得られます。
頭の中で組み立てたパズルを体を上手く使うことで実現できる、というところに興味を強く感じているみたいです。
また、ビリヤードは考えるフェーズとショットするフェーズとが区分けされているので、考える時は考え抜くことができ、動くときには動くことだけに集中できます。
頭と体、使う部位を切り分けながらもどちらも高いレベルで使う必要があるところが楽しく感じているところなのかな、と思います。
腕力やスピードといったフィジカルのままに結果を出すことでもなく、頭脳の限りを尽くして結果を出すことでもなく、そのいずれもを使って結果を出していくのが何よりも楽しい。
まとめ:ビリヤードの魅力
ビリヤードは、ゴルフやダーツといった「メンタルスポーツ」にカテゴライズされる種目ですが、他のメンタルスポーツと違い、相手が外した後の配置で撞く、つまり自分が挑むシチュエーションが相手から与えられる唯一のメンタルスポーツです。
そのため、組み立てなければならないパズルを自分で設定することができず、何年、何十年やろうとも毎回違うパズルに取り組むことになるため、飽きることがありません。
また、技術が上がってくればパズルで使える手法に幅が出るため、解き方のバリエーションも増えていき楽しさも飛躍的に向上します。
何より、試合のような極限の緊張状態の中で自分が選んだ手法で思い通りのイレ、ダシを実現できた時の嬉しさ、楽しさ、はちょっと他では味わえません。
ビリヤードは、頭を使って考えたことを体を使って実現するのが好き、という方にオススメしたい種目です。
みんなも、やろう!