ビリヤードで戦う「相手」について
ビリヤード中に一体何と戦えばいいのか。
ビリヤードはいわゆるメンタルスポーツなので、よく言われるのが「自分との戦い」です。
また、ビリヤードは基本的には対人競技なので、対戦相手がいるし戦うべき「相手」は「対戦相手」だ、という論調もあります。
しかし、前者はそうかもしれないけどそんなことやってるとどうにもならなくなりそうって思うし、後者はなんだかしっくりきません。
ここ最近ちょっと各所で目にしたので色々考えてみました。
事の発端
ビリヤードブログ界でおなじみの鈴木さんちの球日記にて、この件の言及が。
これと、あとブラッドEXさんのツイートを見て、なんかわかるけどなんかわからん!と悶々とした午後11時の私です。
対戦中に自分と戦ってはいけない
「自分との戦い」なんてもんは練習中だけにしておけ、と思います。
この点は鈴木さんやブラッドEXさんも触れていますが、対戦中に自分と戦いだすと往々にして泥沼にはまって自滅するものです。
調子が良かろうが悪かろうができることをやるしかないわけで。
その瞬間瞬間で発揮された結果が今できることであり、理想とのギャップで悩まされるといったことは練習中のメンタルであるべきです。
プレッシャーや不安、緊張についても、それはもうあるのが当然であって戦って征服する相手ではなく共存していくものだと思います。
プレッシャーや緊張感はシチュエーションが発生させるものだから自分でどうにもできないし、不安は対戦前の練習によってそもそも発生させないようにするしかない。
こういったネガティブに感じがちな「ストレス」は、十分な練習という裏付けがあればストレス反応からチャレンジ反応に変わってむしろ高パフォーマンスを生み出す要素になる、とスタンフォード大学のケリー・マクゴニガル教授が提唱しています。
この話、私は昨年の世界一受けたい授業に教授が出ていたのを見て知りましたが、教授の本により詳しく書かれているようです。
私自身、ここ最近試合でドキドキしてヒーヒー言ってる時に「でも練習してるから大丈夫」と思うようにしていますが、これがチャレンジ反応を生み出して結果に反映され始めてるのかなと感じています。
対戦相手と戦う?
これがどうにも腑に落ちません。
もちろん対人種目ですから対戦相手と戦うし、対戦相手に勝つ、対戦相手に負ける、という結果がそこにはありますが、戦っている最中に対戦相手とやりあっているのか、というとそんな風には感じられません。
直接対戦相手に何かをしたりしない
自分が撞くときに対戦相手に何かする、といったことは殆どありません。
野球における対戦相手のピッチングや守備を叩き伏せるバッティングのような行為をビリヤードではしません。
対戦相手が誰であっても、やることは目の前の球を取りきるかセーフティで対戦相手に撞き辛くするか、だけです。
なお、人づてに聞いた中では、ブレイク&ジャンプのブレイクキューでのブレイク時に、バットのエクステンション部分が外れてブレイクとともにキューが対戦相手めがけて飛んでいき、対戦相手のわずかに横の壁にキューが突き刺さった、とかいう対戦相手への物理的攻撃もできないことはないみたいですが、こんなものは例外中の例外だし、これは攻撃というか事件です。
直接対戦相手に何かされたりもしない
自分が撞いていないときに対戦相手に攻撃されるから防御する、なんてことも殆どありません。
サッカーにおける戦術的なディフェンスのような行為をビリヤードではしません。
対戦相手が誰であっても、対戦相手が撞いているときはせいぜい「もう一回くらい回ってこないかな」って祈る程度です。
口パンチは守備なのかなと思うこともありますが、あれはあれで品がないし品がない種目をやっているとき以外はマナー違反だからあまり考えなくてよいかなと。
以前、ハゲからネガティブな口パンチ(どうせお前は外す的な)されまくって流石に頭にきて「頭眩しすぎで口だけじゃなくて頭もうるせーよ静かにしろよ」と口パンチし返して黙らせた私です。
正直、球撞いてるときにこんなこと言いたくないし、これが楽しいと思える文化圏にはあまりいたくない。
口パンチするにも礼節は大事。せめて笑えるものにしてほしい。
ビリヤードでは人対策をしない
対戦相手と戦わない証左となるんじゃないかと思うのがこの要素です。
一般的な対人競技では対戦相手の分析をし、対戦相手の長所を潰す、短所を突く、といったことをするものですが、ビリヤードでこういったことをするという話を殆ど聞いたことがありません。
JPA界隈ではしないこともない、と聞いたことがありますが、どこまで有効なのかは謎です。
誰が対戦相手でもやることは一緒だと思うのですが、どうなんでしょうか。
ビリヤードで戦うべき相手
ここまでで戦う相手は自分でも対戦相手でもない、という結論になると思いますが、じゃあ誰と戦うのか。
ポケットであれば取りきり、キャロムであれば撞ききり。
そのいずれであっても与えられた配置を征服するのがビリヤードのゴールです。
なので、戦うべき相手は目の前の配置であって、目の前の配置にいかにして勝利するか、というのが正しいメンタルの持っていき方なのではないか、と思います。
簡単な配置はザコ敵、トラブルがあったりする配置は強敵、ヒルヒルの最終マスはラスボス。
配置を戦う相手と思うことで、過度に自分を責めることもなくなるし、対戦相手に威圧されることもなくなるはず。
ゴルフもコースと戦っている
メンタルスポーツの代表であるゴルフも、自分や対戦相手ではなくコースと戦う、といった話を聞きます。
ストロークプレイだと対戦相手って誰だってなりますしね。
コース設計者の意図を読み取り、そこに自然が加わってくる中で攻略していくのがゴルフの醍醐味なんだそうです。
配置こそがビリヤードの醍醐味
ブレイク時を除き、回ってくる配置は相手のミス又はセーフティの結果です。
この、「戦う相手である配置が対戦相手から提供される」というのが、他のメンタルスポーツにはないビリヤードの醍醐味ではないでしょうか。
攻撃時は対戦相手の干渉がないし、防御時に対戦相手に干渉できないけど、戦うべき相手が対戦相手から提供されるから類似こそすれ戦う相手が常に違う。
ここに、ビリヤードが無限の奥深さを有し、生涯楽しめる理由があるように感じます。
ビリヤード、楽しいです。