瞬間の先へ
来年のことを言えば鬼が笑う、なんていうことわざがあります。
将来のことなど前もって知ることはできないのだから、あれこれ言っても仕方がない。予測できるはずのない未来のことを言うと、鬼でさえおかしくてせせら笑う、という意味だそうで、侮蔑の笑いですね。
それが5年も先の話となると、いったい誰に笑われてしまうんだろうか。
そもそも、5年も先のことを考えてどうにかできたことなんてあったっけかな、とここのところ考えていました。
未来について考える前段
学生のころにeastern youthに感化されたせいで、ただ今日を生きる、明日の事など知るものか、と思っていたこともあり、将来に向けたビジョンというものがありません。
[PV] ドッコイ生キテル街ノ中 - eastern youth
こういった歌詞に触れて、私の人生観は形成されていきました。
(この曲自体、非常に名曲なので一度聴くとよいと思います)
先々のことを考えるのが苦手なのですが、これは、未来を考えることが発想するという動作にカテゴライズされるからです。
過去から現在に至るまで、私は発想するということがどうにも苦手。
発想は、基礎となる知識の積み重ねの先に生まれるものなので、未来という発想もまた、基礎となる過去の積み重ねにより生まれるはずです。
そういった前提で考えると、そもそも過去が少ない幼少期~学生期において、未来に対して予測を立てるなんてことができないのは当たり前で、苦手も何もないんですよね。
若き日の将来観
例えば、その時その時の何かしらで嫌でも考えさせられる将来の夢という項目で見ると、如何に未来がわかっていなかったか明確です。
幼年期:大工(自分で家を建てればタダだから)
中学期:WEB技術者(インターネットまじ神)
高校期:オリハルコン生成(マテリアル工学って新物質作るんでしょ?)
大学期:彼女が欲しい(なお、できず)
といった変遷で、とんでもなく打算にまみれたスタートから刹那的な生き方となり、突然の壮大な夢物語から今度はほとばしる性欲に影響されて近すぎる未来しか見えておらず。
5年という適度な期間で考えることなんてまったくできていません。
特にオリハルコンってなんだよ。
マテリアル工学ってのは材料力学であって応力がどうとかイナーシャがどうとかって学問なんだからオリハルコンなんか作るわけないしお前はスプリガンの読み過ぎだバカ!
アーマードマッスルスーツなんかあっても使い道ないだろ!
5年前の私が今の私を想像できたのか
では、間近いところで、5年前の私が今の私を想像できたのか。
5年前の私というと、ニートだったし当時の彼女(今の嫁)と楽しく遊び呆けてた人生の夏休み状態だったところで、退職金と失業保険との貯蓄がついに尽きてGEOでバイトを始めたころです。
GEOのバイトは楽しかったし、韓流ドラマって人気めっちゃあるんだなとびっくりしましたが、何より接客業が自分に向いていないと確信できたのが一番よかったです。
この頃、人のゲーム実況で「失業保険ウマウマ」とかコメントしたら「数年後生活保護で暮らしてそうだな」ってコメントされたのが、地味にダメージでかかった記憶があります。
あと、その人のゲーム実況で聞いた、MMOのキャラクタに父親の名前つけてゲームするってめちゃくちゃ面白いなって思った記憶も。
そこから、再就職し、転職し、と仕事の環境は大きく変わり、不治の病に罹り、当時の彼女との間に子供が2人生まれ、実家の犬が痴呆を発症する、となったのが5年後の今なのですが、何一つ想像できてるわけがない。
さらっと書いたけど割と激動なんじゃないかこれ。
5年後を想像してみる
ぼちぼち、人生の荒波も乗り切って安定していくと思うというか思いたい年頃なのですが、5年後ってトランプさんの1回目の任期が終わってもまだ届かないし東京オリンピックも終わってるんですよね。
社会が激変しそうだし、こと職場や業界がどうなるのか、全く想像がつかない。
今ある2つの目標の「家を買う」と「A級になる」が達成されていればいいな、と思う。
そのためにも、やはり今を頑張る、今を生きるしかないので、良く働き、良く球を撞き、良く笑っていきたい。
仕事で汗をかき、正面から物事と向き合い、ポジティブな感情とともに日々駆け回る。
こういった所作は、つきつめればジャングルの聖人たるゴリラの立ち振る舞いに至るように感じている。
ゴリラは自然への感謝の中で日々を真摯に生き、その肉体をもって何事をも解決し未来を作り上げている。
5年後の私は、無事ゴリラになれましたか?
はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」